ラサール石井さんといえば、知的で鋭いツッコミで知られるコメディアンですが、その経歴は実に多彩で興味深いものです。
放送作家からコメディアンへの転身、そして多方面での活躍まで、ラサール石井さんの経歴を詳しく見ていきましょう。
ラサール石井の経歴概要

ラサール石井さん(本名:石井朗夫)は、1955年10月19日に大阪府大阪市住吉区で生まれました。
学歴は、私立・鹿児島ラ・サール高等学校を卒業後、早稲田大学第一文学部に進学しました。
しかし、4年間在籍したものの除籍となり、最終学歴は「高卒」となっています。
「私は早稲田大学に4年通って、除籍になっています。『中退』と言うと経歴詐称になる」と口にし「私は(鹿児島の私立)ラ・サール高卒。高卒が本当です」
出典:日刊スポーツ
ラサール石井さんの経歴の特徴は、その多様性にあります。
お笑いタレント、俳優、声優、司会者、脚本家、演出家、著作家、コラムニストと、実に幅広い分野で活躍しています。
この多才ぶりは、彼のユニークな経歴から生まれたものだと言えるでしょう。
放送作家からコメディアンへの転身

ラサール石井さんの芸能活動は、大学時代に放送作家として始まりました。
早稲田大学在学中、ミュージカル研究会に所属していたラサール石井さんは、先輩の放送作家の目に留まります。
そして、テレビ朝日の子供向け番組『チビラサンデー』のコント台本執筆という仕事を経験することになりました。
しかし、台本を書くうちに「自分で演じたい」という思いが強くなっていきます。
この「自ら表現したい」という強い欲求が、放送作家からコメディアンへの転身を決定づけた大きな理由となりました。
演者を志して「テアトル・エコー」養成所に入所したラサール石井さんは、ここで渡辺正行さん・小宮孝泰さんと出会い、意気投合します。
そして1977年に「コント赤信号」を結成し、コメディアンとしての道を歩み始めたのです。
コント赤信号での活躍

コント赤信号は、1980年に『花王名人劇場』でテレビデビューを果たしました。
グループ内でのラサール石井さんの役割は、知的でシニカルなツッコミ役でした。
彼の鋭い状況分析力と的確なツッコミは、グループの特徴的な笑いを生み出す重要な要素となりました。
放送作家としての経験は、コメディアン活動に大きな影響を与えました。
台本作成を通じて身につけた笑いの構造やオチの作り方、観客の反応を意識した演出のノウハウは、舞台やテレビでのコント作りに直結しました。
また、常に「もっと面白くできないか」を考える姿勢は、コントのアイデア発想やネタ作り、即興的なやり取りにも活かされています。
コント赤信号での活動を通じて、ラサール石井さんは他のコメディアンとは一線を画す存在となりました。
その後も、テレビ・舞台・映画・声優・司会・脚本・演出・執筆など多岐にわたる分野で活躍し、第23回読売演劇大賞優秀演出家賞も受賞しています。
まとめ
ラサール石井さんの経歴は、放送作家からコメディアン、そしてマルチタレントへと発展していきました。
その多彩な才能と幅広い経験が、現在の多方面での活躍につながっています。
知性とユーモアを兼ね備えたラサール石井さんは、長年にわたり日本の芸能界で重要な存在であり続けています。
近年では、2025年の参議院議員選挙に社民党公認で立候補を表明するなど、新たな挑戦も続けています。
これからも、ラサール石井さんの多才な活躍から目が離せません。
彼の経歴が示すように、人生は常に新しい可能性に満ちているのです。
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