フィギュアスケート界で輝かしい活躍を見せる鍵山優真選手。
北京オリンピック銀メダリストとして、今や日本を代表するスケーターとなった彼ですが、その経歴はどのようなものなのでしょうか?
父である鍵山正和氏の影響を受けながら、どのように成長してきたのか気になりますよね。
そこで今回は、鍵山優真選手の経歴について詳しく調査しました!
幼少期から現在までの歩み、父との絆、そして輝かしい競技成績まで、時系列でわかりやすくお伝えします。
鍵山優真の経歴!幼少期から現在までの成長の軌跡
出典:yuma_kagiyama15・Instagram
鍵山優真選手は2003年5月5日に神奈川県横浜市で誕生しました。
父・鍵山正和氏の仕事の都合で、幼少期は富山県や長野県軽井沢町を転々としながら育ちます。
スケートを始めたのは富山スケートセンターでのこと。
小学2年生の時に軽井沢へ転居し、軽井沢風越公園アイスアリーナで本格的に練習を開始しました。
中学1年生で再び横浜市へ戻り、横浜銀行アイスアリーナを拠点に技術を磨いていきます。
横浜市立六角橋中学校を卒業後、2022年3月に星槎国際高等学校横浜を卒業。
同年4月には中京大学スポーツ科学部に進学し、練習拠点を愛知県豊田市の中京大学リンクに移しました。
現在は愛知県名古屋市を拠点に、オリエンタルバイオ/中京大学に所属しながら競技を続けています。
身長161cmと小柄ながら、父譲りの滑らかな滑りと着氷のやわらかいジャンプが特徴です。
4回転ジャンプ(トウループ、サルコウ、ループ)を習得し、技術面でも着実に成長を遂げてきました。
鍵山優真の経歴に欠かせない父・鍵山正和との絆
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鍵山優真選手の経歴を語る上で、父・鍵山正和氏の存在は絶対に欠かせません。
正和氏は1992年アルベールビルオリンピックと1994年リレハンメルオリンピックの日本代表として活躍した元フィギュアスケート選手です。
現在は息子のコーチを務めており、優真選手は父を非常に尊敬しています。
「膝の使い方が父と似ている」と言われることについて、本人は「似ていると言われるのはすごくうれしい」と語っているほどです。
2024年の全日本選手権では優勝を果たし、父子での史上初の連覇という快挙を成し遂げました。
正和氏は1993年に全日本選手権3連覇を達成しており、親子二代での偉業となったのです。
この優勝により、優真選手は2026年ミラノ・コルティナ五輪代表にも内定しています。
父との二人三脚で歩んできた経歴は、鍵山優真選手の大きな強みとなっています。
鍵山優真の経歴を彩る主要大会での輝かしい成績
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鍵山優真選手の経歴には、数々の輝かしい成績が刻まれています。
ジュニア時代から頭角を現し、2019年には全日本ジュニア選手権で優勝。
2020年にはユースオリンピックで金メダル、世界ジュニア選手権で銀メダルを獲得しました。
シニアに転向後も快進撃は続きます。
2021年の世界選手権ストックホルム大会では、初出場ながら17歳で銀メダルを獲得。
2022年北京オリンピックでは個人戦と団体戦でともに銀メダルを手にしました。
世界選手権では2022年モンペリエ大会、2024年モントリオール大会でも銀メダル、2025年ボストン大会では銅メダルを獲得。
四大陸選手権では2020年ソウル大会で銅メダル、2024年上海大会では金メダルに輝いています。
グランプリファイナルでも2023年北京大会で銅メダル、2024年グルノーブル大会で銀メダルを獲得するなど、安定した成績を残し続けています。
まとめ
今回は鍵山優真選手の経歴について詳しくお伝えしました。
幼少期から父・鍵山正和氏の指導を受けながら、各地を転々としながらも着実に技術を磨いてきた鍵山優真選手。
ジュニア時代から頭角を現し、シニア転向後も世界選手権やオリンピックで輝かしい成績を残してきました。
2024年の全日本選手権優勝で父子史上初の連覇を達成し、2026年ミラノ・コルティナ五輪代表にも内定しています。
父との絆を力に変えながら、日本フィギュアスケート界を牽引する存在として、今後のさらなる活躍が楽しみですね!

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