2025年12月21日、M-1グランプリで史上最多1万1521組の頂点に立った「たくろう」。
初の決勝進出で初優勝という快挙を成し遂げた彼らですが、一体どんな経歴を持つコンビなのでしょうか?
今回は、M-1優勝たくろうの経歴について、メンバーのプロフィールから結成の経緯、そしてM-1での戦績まで徹底的に解説していきます!
たくろうのメンバープロフィール!赤木ときむらバンドの出身や学歴は?
出典:takurou_kim・Instagram
たくろうは、赤木裕ときむらバンドの2人で構成される漫才コンビです。
2016年3月9日に結成され、吉本興業大阪本社に所属しています。
まず、ボケ担当の赤木裕さんは、1991年10月24日生まれの34歳。
滋賀県大津市出身で、京都産業大学経営学部を卒業後、NSC大阪校37期生として芸人の道に進みました。
太い眉毛とシャツの裾をズボンに入れたファッションが特徴的で、野球や空手、ONE PIECEが趣味だそうです。
尊敬する芸人は千鳥とビスケットブラザーズとのこと。
一方、ツッコミ担当のきむらバンドさんは、本名を木村太一といい、1990年1月28日生まれの35歳。
愛媛県鬼北町で生まれ、松山市で育ちました。
松山大学に進学しましたが中退し、NSC大阪校36期生として芸人の世界に飛び込みました。
茶髪のパーマがトレードマークで、明石家さんまさんや木村拓哉さんを尊敬しているそうです。
大学時代には落語研究部に所属し、廃部寸前だった部を復活させた経験もあります。
たくろうの結成経緯とコンビ名の由来!NSCでの出会いから現在まで
出典:takurou_kim・Instagram
たくろうの2人が出会ったのは、NSCでのこと。
きむらバンドさんが1期下の37期生のアシスタントとして参加した際に、赤木さんと知り合いました。
実は2人とも、たくろう結成前には別のコンビで活動していました。
きむらバンドさんは2014年6月から2015年9月まで「バンドワゴン」というコンビを組んでいました。
赤木さんも「あぶりぽンズ」や「ムミムシュウ」というコンビで活動していたんです。
両者のコンビが解散した後、きむらバンドさんが「めちゃくちゃおもしろいけど余っている」という噂を聞いて赤木さんに声をかけたことが、たくろう結成のきっかけでした。
こうして2016年3月、たくろうが誕生したのです。
コンビ名の由来も面白くて、きむらバンドさんが好きな木村拓哉さんの「たく」と、赤木さんが好きなイチローさんの「ろう」を組み合わせたもの。
2人の好きなものが詰まった名前なんですね!
たくろうのM-1経歴!2016年から2025年優勝までの軌跡
出典:takurou_kim・Instagram
たくろうは結成した2016年から毎年のようにM-1グランプリに挑戦してきました。
その戦績を振り返ってみましょう。
2016年は3回戦進出、2017年は準々決勝進出と着実にステップアップ。
そして2018年には準決勝まで進出し、敗者復活戦でも5位という成績を残しました。
2019年は準々決勝進出でしたが、その後2021年は3回戦、2022年は準々決勝、2023年は3回戦、2024年は準々決勝と、なかなか決勝の壁を破れない日々が続きました。
しかし2025年、ついにその時が訪れます!
2018年以来7年ぶりに準決勝に進出すると、そのまま初の決勝進出を果たしたのです。
決勝ファーストラウンドでは861点を獲得して2位で通過し、最終決戦では9人の審査員のうち8票を獲得。
初出場で初優勝という快挙を成し遂げました!
決勝でのキャッチコピーは「軟弱の星」。
赤木さんの挙動不審な言動にきむらバンドさんが優しくツッコむという独特の芸風が、ついに日本一の座を射止めたのです。
M-1以外でも、2018年の今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで新人漫才福笑大賞、2019年のytv漫才新人賞決定戦で準優勝、2024年のNHK上方漫才コンテストで準優勝など、着実に実績を積み重ねてきたんですね。
まとめ
今回は、M-1優勝たくろうの経歴について詳しくお伝えしました。
滋賀県出身の赤木裕さんと愛媛県出身のきむらバンドさんが、NSCでの出会いをきっかけに2016年にコンビを結成。
それから9年間、地道に活動を続けながらM-1に挑戦し続け、2025年についに初出場で初優勝という快挙を成し遂げました。
よしもと漫才劇場を中心に活動してきた彼らが、史上最多1万1521組の頂点に立ったことは、まさに努力の結晶と言えるでしょう。
これからの活躍がますます楽しみですね!

コメント